葵のひとり感想戦

アニメやら漫画やらについて思ったことをぽつぽつ

無料で漫画を楽しむ罪悪感

ご無沙汰しています、葵です。

 

ひと月ほど間が空いてしまいました。

変わらず日々仕事の合間にダラダラアニメを観ていますが、最近はアプリで漫画を読み漁ることの方が多いです。

 

少し前まで、面白い作品にはお金を出さないと!という使命感(?)からアプリで無課金で読むことに抵抗感がありました。

 

でも、世の中たくさんの漫画が無料で読めるし周りの人も無料で読み進めて特に気に入ったものだけ課金して続きを読んだりしていて、確かに自分のよくわからないこだわりで入口を狭めてしまうのはもったいないくらい今は面白い漫画に溢れている世の中だよなと思いまして。

 

とりあえず「漫画」で検索して出てきたアプリを上から順にいくつかインストールしてみました。

 

友達に勧められたもの、テレビで紹介されていたもの、話題になっているもの、絵柄やタイトルから気になったものを次から次へと片っ端から読んでいます。

 

途中までしか無料で読めないものは続きをレンタルショップで借りてこようかそのままアプリ課金しようか悩み中…レンタルショップの方がお得なんですけどね。

 

ただ、中には全部無料で読み切れてしまう作品も多数あって、そういうものもきちんと面白かったりするとやはりどうしても罪悪感が生まれます。

 

数年前、いわゆるTHEオタク女子だったわたし的には「好きなもの、気に入ったものにお金を出すことがその作品の存続に繋がったり他の展開に繋がったりその作者の次の作品に繋がったりする」という実感がありました。

 

だから今になって、お金を出さずに最後まで読んで「面白かった~」だけで終わらせてしまうことにとても罪悪感を覚えるようになってしまい…

面白かったなら課金するなりして貢献した方がよかったのでは、とか

わたしは満足したけど無料で読んでいる以上作者の方には何もバックされていないんだよな、とか

 

単に面白い作品を無料で読めてラッキーで済ませればいいのかもしれないところを、どうしてもそのように考えてしまって少しモヤモヤしてしまうのが我ながらもったいないなと思います。

 

…まあだからといって特に最近はとても金欠なので、無料で楽しめること自体はとても有り難いんですがね。

 

 

最近読んでよかったのは、(まだ読んでいる途中のものもあります)

・明日、私は誰かのカノジョ

不能犯

・付き合ってあげてもいいかな

・見える子ちゃん

・ケーキの切れない非行少年たち

・ヒナ 値付けされた子役たち

…ここらへんですかね。

他にも読んでいるものはいくつかありますが、読み終えていない&読み途中でも面白いと判断できるものは上記のものです。

 

見ての通り、恋愛ものもコメディもちょっとグロテスクなものもシリアスなものも何でもいけるクチなので、何かオススメ漫画があったら教えていただきたいです。笑

いわゆる「なろう系」が苦手

こんにちは、葵です。

ちょっとご無沙汰ですね。

 

この空いている期間で「僕のヒーローアカデミア」を観ていました。

 

まだ現在放送中?の5期まではたどり着いておらず、現在4期入ってすぐのところです。

 

実はわたし、1期をテレビ放送でリアタイしていました。

が、あまりに苦手なストーリーすぎて2期以降は全くノータッチ。

ジャンプ発売日によくトレンドに関連ワードが入っていますが、最早気にもならないレベルで全く興味がありませんでした。

 

わたし、もともといわゆる「なろう系」が好きではないんです。。

 

更に言うと、主人公の成長物語的なジャンルが苦手で、落ちこぼれ主人公がトップを目指して…系のお話があまり好きになったことがありません。

(ただ、スポーツ漫画は少し例外ですが。特にチームスポーツもの。弱小チームが強くなっていく話ならそこまで抵抗感ありません)

 

反対に、最初から主人公がチート並みに強い話が好きなんですよね。

だからデスノートとか大好き。夜神月最強主人公。

 

それなのにどうして、いまや「なろう系」の代表格と言ってもいいヒロアカを見始めているのか…というのは、まあ、いわゆる友人からの布教ですよね。

 

映画が公開されたのもあって、わたしの友人たちもヒロアカの話をよくしています。

 

みんな勿論わたしがヒロアカ好きじゃなさそうなこともわかってて勧めてくるから性質が悪い。。笑

こぞって「騙されたと思って見てみ!」と言ってくるんです。

 

1期だけ見た限りでは切島くんが限りなくいい子そうで可愛いな、と思っていたとか口にするともうそれはそれは凄まじい勢いで「切島くん好きなら絶対5期まで観た方がいい!」と。

 

ちょうど次に何を観るか迷っていたのもあり、月額登録してしまったdアニメストアで全部観られるというのもあり、観ることにしました。

(もう少し若い頃は誰に何とどれだけ言われようが絶対観なかったと思うんですよね…わたしも丸くなったなあ)

 

で、今に至るわけですが…

 

正直4期まで観た今も大して気持ちの変化はなく、やっぱりデクくんは好きにはなれないしついでにオールマイトも苦手。

みんなデクくんに影響されすぎだし、デクくんも主人公パワー出しすぎててちょっとうんざり。

確かに4期になって切島くんが活躍しだしたし、観れば観るほど切島くんはいい子で可愛くて好きなんですが、いかんせん話の内容が主人公を中心としすぎていてやはり苦手意識が勝ってしまいます。

 

いや、もちろん主人公なんだから中心に主人公がいるのが当たり前じゃないか、という意見もわかりますよ。。。

 

でも、せっかくこれだけキャラクターがいて、しかもスキルがそれぞれの個性でかなりいろんな種類があり、ヒーローになってからも個性の使い方次第で敵と戦う以外にいろんな活躍の仕方があるというのに、クラスのみんなデクくんのこと気にしすぎでは?と思うのですよ。。

 

爆豪くんがデクくんを執拗に気にするのはわかりますよ、彼はもうある意味可哀想だけど一生デクくんのことを気にしていかなきゃいけないのかもしれないと思ってます。笑

(最近の本誌で爆豪くんとデクくんの間に大きな動きがあったそうですが、全く知りません)

ちなみにわたしは爆豪くんの考え方や自分が勝つ、トップになるという勢いが好きすぎてめちゃくちゃ応援しています。親心。

 

あと飯田くんもデクくんの大事な友人ポジションとしてデクくんに影響受けまくるのもまあわかります。

お茶子ちゃんもデクくんのことが好きならまあ仕方ない。お茶子ちゃん超可愛いですね(あやねるも大好きなわたし)

 

でもそれ以外のクラスのみんな。轟くんとか切島くんとか特に。

そこまで君たちはデクくんじゃなくてもいいでしょうに。

切島くんはぶっちゃけ、二次創作で爆豪くんと仲良くイチャコラさせられているのをよく見かけるんですが、爆豪くんの考え方に影響受けたっていいじゃない。

轟くんもデクくんだけでなく他のいろんな人と絡んだ方が良さそうなのに。

3期か2期か忘れちゃいましたが、中間試験があったと思うんです。

そこで峰田くんまでもがデクくんに影響受けていると思われることを口にしたときにはもう、わたし、勘弁してよ―――って思いました。

 

唯一そこまでデクくんに影響受けてなさそうなのが青山くんかな。

彼、4期に入ってもいまいちよくキャラがわからないけど(わからないんじゃなく、それまでの姿で彼の全部なのだとしたらもったいないと思う)彼はそこまでデクくんのこと話していない気がする。

 

あとデクくん以外に明確に影響受けたのはやおももちゃん。

彼女は中間試験のときに自信なくしていたところを轟くんの一言で持ち直しますよね。

あれがわかりやすいわたしの望んでいるものなんですよ。

みんな落ち込んだり迷ったりしたときにデクくんのこと思い出しすぎでは?って。

 

 

似たような「なろう系」にわたしはNARUTOを挙げます。

全般的に苦手なものは苦手なので、まあNARUTOもそんな好きではないのですが、NARUTOはまだ人間関係がもっと複雑に入れ組んでましたよね。

キャラクターが多いところも変わらないし、同期と先生+敵+外部の味方、というような関係性も似ていると思います。

でも、NARUTOはみんながみんなナルトに影響受けているわけではなく、そこまでナルトと交流してないのに活躍が沢山描かれている人も多かったような印象。

無意識にそこと比較している可能性もありますが、わたしは「なろう系」ならせめてNARUTOくらいの人間関係が欲しいと思ってしまう。

 

 

まあ今は気が向いているし、観ると言った以上は最後まで観る所存なので、今後もヒロアカ視聴は続けるし、映画は観ないだろうけどアニメの続きがあればまた観るんだと思います。

苦手とはいえ毛嫌いしているわけではないし、別に毛嫌いしてても観たらしぬわけでもないんだし。

 

今のところの結論としては、やっぱりわたしは主人公の成長物語、「なろう系」が苦手だなーと再認識したって感じです。

 

 

2021.8.25

PSYCHO-PASSは神アニメ

…だと思うんですよ。

 

全てをシビュラシステムに管理された世界で、自分の人生をそのままシステムに委ねている世界。

 

正直私はこの世界の設定、とても気持ち悪いものだと思っています。

別に人生順風満帆で、自分の運命は自分で切り開くもの!という思考では全くないのですが、システムに何もかも従うのってちょっとつまらないですよね。

家のレイアウトを毎日好きに変えられるのも、便利なようで私のような同じ景色に慣れたいタイプからすると落ち着かないですし。

嫌な世界だな、と思っています。

 

でも生まれたときからそんな世界だったら?

もうずっとそんな世界で暮らしているのだとしたら?

…そしたらもう、嫌だなとかおかしいなとは思わないでしょうね。

 

主人公の常守も最初はそんな普通の「世界の住人」。

優秀ですが、基本はシビュラに従いシビュラのある世界が当然と疑わない、あくまで普通の人間の感覚ですね。

 

それが、公安局に入りある人物が引き起こす事件の捜査をするうちに、どんどん考え方が変わります。

 

この話の流れがまず面白いんですよね…当たり前の世界のルールに疑問を抱く、しかもそのルールに従って仕事をする立場の人間が。

 

更に何より面白いと思うのが、シビュラを疑うきっかけとなる槙島聖護の存在。

 

免罪体質というシビュラに認知されない槙島は、その特性を生かして数々の事件を手助けし、自らも手を染めて殺人を繰り返します。

膨大な知識と思考の深さ、カリスマ性を活かして人を操り、シビュラに背いて世界を変えようとする槙島。

彼を追う中で、シビュラシステムという当たり前の存在の謎に迫ることになり、疑念を抱くことになるんです。

 

単純に正義と悪の対立ではなく、正義側の土台となるべき概念を揺るがせ、揺らいだ土台の上でなお自分の信じる正義を貫く。

シビュラを利用し、シビュラに利用され、信頼し合わない相手と手を組んだり、とても一筋縄ではいかない設定ですよね。

 

正義とは何なのか、善悪とは何なのか、世界はどうあるべきなのか、という様々な難しい問題(というか答えのない問題、ですよね)がちりばめられており、本当に考えながら観る作品だと思っています。

 

…中でも私は槙島のこの言葉が好き。

 

「僕は、人の魂の輝きが見たい」

「それが本当に尊いものだと確かめたい」

「だが己の意思を問うこともせず、ただシビュラの神託のままに生きる人間たちに、果たして価値はあるのだろうか?」

 

私がこのPSYCHO-PASSの世界に感じる違和感というか嫌悪感、の理由はまさにこの言葉通りだと思っていて。

人間は考えられる脳がある、個人個人の感覚や価値観の違いがある、その多様性をお互いに受け入れながらひとつの社会を作り、ひとつの世界を作っている。

それなのに、何も考えずただシステムの言いなりになり、それを疑いもせずにいる人間たち。

それって人間ができるとても尊いものをすべて捨てているように思えちゃうんですよね。

 

人の魂の輝き、というのを今の私が常に持っているかと言われると自信もって答えることはできませんが、それでもこの世界の人たちよりかは自分の人生のことを自分で考えているし、その結果がたとえシステムが出した答えの方がよかったとしても、後悔するようなことになったとしても、納得しているし責任を持っています。

 

槙島がどういう意図で人の魂の輝きと言ったのかはわかりませんが、私にとってのそれはそういった各自の思考やそれに基づく行動、衝突したり協力したり、後悔したり満足したり、そういったプラスマイナスの事柄に直面したときに生まれるものだと思っています。

 

綺麗に輝くだけでなく、暗かったり汚かったり滲んでいたりもあるかと思います。

でも、いろんな輝きが至るところで生まれるからこそ世界は面白いし深みが増すのだと思っています。

 

槙島の方法はいい方法とは到底言えませんが、彼の言うことは間違っているとはとても言えないんですよね。

他の数々の名言も、引用を用いたりしてちょっと難しいですがきちんと聞いてみるとどれも「確かにそうかも」と思えてしまうようなことばかり。

完全悪とは言えない悪者キャラとして人気な彼ですが、それも頷けますよね。

 

そして頷くだけでなく、今この幸いにもシステムに完全に管理されたわけではない世界に生きる人間として、もう一度考えなくてはいけないんだと思います。

 

将来、必ずAIが台頭して人間の仕事は大きく減るでしょうし、その便利な面だけを見て享受する人も必ず大勢いるでしょう。

でもあくまでもシステムは人間が使うものです。

人間が負担を減らすためにシステムに助けてもらう、という程度であるべきだと思います。

システムに全てを任せてしまったら人間はいつか必ず思考を止めてしまう。

それは避けなければならない。

 

私が生きているうちにどこまで世の中のシステム化が進むかはわかりませんが、後世に伝えていきたい作品ですね。

 

 

…ちなみに、私の推しは霜月です。

1期では学生でしたが、2期で異例の未成年で公安局に採用される有望な人材です。

1期を経て、シビュラの正体を知った常守、槙島の事件で変わってしまった1係の面々の中で、あくまでも「この世界の普通の人間の感覚を強く持っている」人間として1係に入るのが霜月。

シビュラは信じてはいけない、とする1係の面々に対してシビュラは絶対と信じて疑わない霜月の存在は1係でとても目立ちます。

 

私の周りは霜月の評判は良くないですが、世間と少し違う感覚を持ち始めた1係の中に世間の感覚を強くもつ霜月がいるからこそ、1係の信念や正義が生きるわけですし、それこそ1係の命の輝きがより際立つようになっていると思うんです。

そして霜月も、決して自分を見失わない。

霜月は霜月で、ちゃんと命を輝かせて生きているんです。

 

私の中でPSYCHO-PASSはやっぱり神アニメでした。

定期的に見直したいし、その都度考えたい作品です。

ストライクゾーン狭くなった?

昔からアニメ好きで、他人からオススメされたりオススメしたりは当たり前だった普通のオタク。

私にオススメしてくれる友人も、私の趣味をよく理解してくれていることが多く、オススメされたアニメや漫画は大抵好みでした。

 

例えばPSYCHO-PASSBANANA FISH暁のヨナとか。

 

ただ社会人になってから、どうしてもアニメ鑑賞に割く時間が減りまして。

オススメされたものも後回し、とにかく今放送しているアニメでピックアップした数本を観るので精一杯。

まあある程度は仕方ないのかな、と思いますが。

 

それもコロナ禍で暇な時間が増え、過去のアニメ作品を観る時間を作れるようになってきました。

満を持してのつもりでいくつか過去にオススメされたアニメを観たところです。

そこで私は思ってしまいました。

 

…もしかして、私のストライクゾーンめちゃくちゃ狭くなってる??

 

というのも、オススメされて観たアニメがどれもピンと来なかったんです。

勿論全て観たわけではないし、友人のオススメが100%当たるとも思っていませんが。

特に思ったのは、輪るピングドラムを観たとき。

 

放送当時は家族が観ていた気はしますが、私は全く観ておらず。

主題歌と「きっと何者にも~」のセリフだけは何となく知っていましたが、他の知識は全くありません。

ただまあ、主題歌の雰囲気とオススメされたときの友人の簡単な説明で、私自身きっと好きだろうなと思っていました。

 

数年越しにようやく観たのですが、なんというか、うーん…

つまらないわけではなく、興味深い内容ですし流石イクニ監督というような、イクニワールド全開な作品だなと思いました。

…こう言ったらなんですが、ぶっちゃけイクニワールドが私の肌に合わなかったというか、どうも馴染めないというか。

以前さらざんまいを観ていたときも、最初こそ面白くてすごい作品だと思っていましたが、観ていくうちに…こう、飽きてしまう。。

ただ世界観や展開は割と好みではあるため、やはり表現の仕方が苦手だったのかな、と。

 

しかし昔だったら絵が好きじゃないとか声優さんが苦手とかでも、話の内容が好きであれば問題なく楽しめた私が、ワールドが肌に合わないなんて理由で作品そのものにしっくりこないなんて、とちょっと驚き。

 

あとピンドラに関しては、結末もちょっと苦手だったかも。

「輪る」とある時点でわかりますが、別の世界線とかで解決する話は私にとって後味が良くないんですよね。

ハピエン主義ではないですが、ハピエンに見せかけたバッドエンドはちょっと尾を引いてしまいます。

なんなら完全にバッドエンドであった方が潔くて好きかも。

 

また、昨日の投稿でも出したガンダムOOもオススメされていてようやく観たものです。

ロボットアニメはあまり得意ではないつもりですが、ロボットの戦闘の中にある人間の各々の立場や誇り、信念などがぶつかり合ったり寄り添いあったり、人間模様が細かく描かれていて好きそう、というオススメのされ方をして、観る気になりました。

 

でも…なんというか、総じてそこまでピンとはきませんでしたね。

それぞれ思惑を抱えて生きている割に、思いのほか人格者が多いというか。笑

割とできた人間が多いなという印象でした。

私はエヴァが大好きなのですが、エヴァなんて特に心理描写がえぐいほど描かれているじゃないですか。

しかもみんな自分が大事で、自己保身に走ったり相手を攻撃したり…みんな不器用で、でもそれがやけにリアル。

私はエヴァをロボットアニメというより、メンタルに重きを置いたアニメだと思っています。

 

この感覚を持ってガンダムOOを人間模様をポイントに見ようとしたのが良くなかったのかもしれませんが…ちょっと物足りなかったかな。

 

この2作品が私にとって長年眠らせていたオススメ作品だったので、相次いでストライクゾーンに入らなかったことが自分で驚きと言うか…

歳とって少しアニメとかから離れてきた中で、自分の好みの範囲も狭くなっちゃったのかな、とちょっと悲しくなりました。笑

 

余談ですが、このブログを開設したのもそれがきっかけ。

自分の好みが狭まってしまったのか、そもそも何が自分の好みだったのか、私は何を観てどう感じる人間だったか。

せっかくいろいろアニメやら漫画やらがある時代に生まれて、オタクとして生きてきて、言葉にするのも大好きなので、完全に俺得だとしても感想を文章にして残しておきたいな、と思って始めてみました。

 

次は何を観ようかな。

 

 

2021.7.14 葵

【機動戦士ガンダムOO】言葉がないと分かり合えないのか、言葉がなくても伝わるのか

機動戦士ガンダムOOを鑑賞しました。

劇場版はまだ観ていません。

ちなみにこれが私の初ガンダム

(シリーズ多すぎて何から入ればいいのかわからず、また全部観る時間もなく、でこれまで観てきませんでした)

 

いろいろ思うことがあるのですが、今日はピックアップしてこれ。

最終話?その前?にあった、アンドレイ大尉とマリーのやりとり。

 

「どうしてお父さんのことをわかってあげようとしなかったの?」

「何も言ってくれなかったからだ、言葉にしないと何もわからない」

 

こんなやりとりがあったと思います(ニュアンスです)

このやりとり、すごく印象深くて。

 

マリーの言うことは正論だと思う。自分のことをわかってほしいなら相手のこともわかってあげようとしないとって考えは正しいと思うし、あるべき姿勢だと思う。

でも一方でアンドレイの言う「言葉にしないとわからない」も正しいと思うんですよね。

これは日常のあらゆる場面でも思うことがあって、特に家族や恋人、親しい友人など距離が近い間柄であればあるほど「言わなくてもわかってもらえる」なんて思ったらいけないと思っていて。

大切な相手だからこそ、誤解のないように言葉で伝えなくちゃいけないと思うし、言葉による誤解を解けるのも言葉だと思うから。

しかもアンドレイの場合は相手が父親で、当時の自分は幼い。

余計に「言葉にしないとわからない」と思います。

だからアンドレイの言い分もわかる、めっちゃわかる。

 

なんて思っていた矢先に、次の場面では沙慈とルイスのシーン。

ルイスが何とか喋ろうとするところで、沙慈はこんな感じのことを言います(ニュアンスです)

 

「何も言わなくていい、わかってる」

 

いやいやいやいや、アンドレイのとこで納得した気持ちよ!

言葉にしなきゃわかんないよなあ、当然だよなあと納得した矢先に、想い合う2人のこのやりとりですよ。

愛はどんなことも可能にするってか?

 

このセリフ、恋人同士だと度々見る気がしますね。

言わなくても君のことは全部わかっているよ、て感じで。

とてもロマンチックなセリフだし、そんなこと言われてメロメロ(死語)になる人も多いのかなあとは思います、が。

 

私としては、やっぱり「言わなきゃわからない」派。

沙慈とルイスの場面ではまあルイスが言いたいことは沙慈には伝わったんだろうなと思えますし、現実的に見ても確かに言わなくてもわかることはなくはない。

でも、それってあくまで受け手側の単なる想像と思い込みですよね。

 

そう考える私からしたら、アンドレイのセリフの後に沙慈にこれを言わせるってなかなか皮肉だと思うしめちゃくちゃ印象深かったです。

 

そこでもう少し考えを巡らして…

アンドレイは親子、沙慈は恋人の間柄という違いがありますよね。

親子と恋人、明らかに距離感も依存度も違います。

 

まず親子間、これは一般的に見て20~30歳上の親とその子ども。

親は子どもを育て、子どもは親に育てられる。

その立場として考えると、子どもはどうしても親に甘えてしまうし親は子どもに対して完全に素直にはいられないこともあるのかと。

勿論例外も認めてますよ。

 

アンドレイは幼少期に母を亡くしたとき、父親から謝罪やら説明やらが欲しかったのに何も話してもらえず信用できなくなったという経緯。

これは「言ってくれるだろう」という勝手な甘えが裏切られたことでマイナスな感情を抱くようになったと捉えられるのではないかな。

更に言えば、もともとのセリフ「言葉にしないとわからない」はぶっちゃけ「言葉以外の部分からわかろうとする努力を放棄している」とも言えて、努力の放棄は一種の甘えとも考えられますね。

 

一方での恋人同士。一般では歳の近い者だったり同じ時間を過ごした仲だったり、血の繋がりがないのに「特別」と思わせる関係性。

一概には言えませんが、とてもピュアで良い表現をすると、恋人同士には思いやりや守りたいという気持ち、素直な自分を見せたいという純粋な想いが生まれるのではないかと私は考えます。

 

沙慈は最愛のルイスを想い続け、ルイスが敵の立場で現れても呼びかけをやめず、ルイスを取り戻すために戦い尽した少年。

ルイスは沙慈に感謝したかったり謝罪したかったり、沢山言いたいことがあったんだと思います。

でも沙慈は感謝も謝罪もいらない、ルイスが腕の中にいる事実だけで満足なわけで。

また自分がやりたくてやってきた行動(=ルイスを救う)の結果に対して、ルイスからの感謝も謝罪もいらないわけで。

自分が何もせずともルイスが戻ってきてくれることを期待していたわけではないと思うんです。

実際ルイスが何を言おうとしたのかはわかりませんが、沙慈には不要だったんじゃないかと思ったりします。

だから、何も言わなくていいよ、と言えたんじゃないかなと。

更にルイスがどんな子かよく知っている沙慈は、ルイスが言おうとしたことも何となく(全部ではなく、何となくなところがポイントです笑)わかったうえで、わかっているよと言ったのではないかなと。

 

わかりにくい書き方をしてきましたが、つまりは相手への期待と裏切りがあったか否か。

アンドレイは父セルゲイに期待し、裏切られたと感じたから「言葉にしないとわからない」

沙慈はルイスに期待したのではなく自分で行動したから「言わなくてもわかる」

という言葉が出てきたんじゃないかな、なんて。

 

そしてどうしても期待してしまう立場である子から親への関係性と、期待(もっと言えば他人任せの思考、ですかね)するのではなく自分で行動できる立場である恋人間の関係性の違いがアンドレイと沙慈の対照的なセリフの違いを生んだのではないかな。

 

実際のところわかんないですけど、あのやりとりを並べたのは対照的なセリフを印象付けるためだと思ってしまいますね。

 

ここまで考えて一応自分の中で結論はつけられましたが、結論付けたうえで私は「どんな関係性においても言葉にしないと相手には伝わらない」という考えは変わりません。

だからこそ言葉を選ぶときは慎重にならないといけないし、沢山考えて言葉を発しないといけないし、議論が必要になるんだと思います。

だって、正直相手が親でなくても、恋人であっても、友人とか同僚とか近所の人であっても、人間は他人に期待することをやめられないから。

社会のルールを守るのだって、他人に守るよう期待しているわけじゃないですか。

無意識に自分も他人からの期待に応えようとしているとも考えられますよね。

 

そして期待することは悪いことではないと思います。

よく恋人との円満の秘訣として、相手に期待しないこと、と挙げる人もいますが。

自分との違いは、言葉でわかりあえる。

私はそう思います。

 

 

それにしてもガンダム、いきなりOOから見てしまうとどうしても他のシリーズも観ないといけない気持ちになる。

まあ多いし、長いし…時間は有限なので、気が向いたときに他のシリーズもぼちぼち観ていくとするかなあ。

ちなみにOOの最推しはロックオン弟でした(弟登場前の最推しは勿論ロックオン兄です)

普通に…かっこいいよねえ…

鋼の錬金術師、20周年ですってね

前回の記事で3大アニメが決められないと書きましたが、3大漫画ならもうとっくに決まっています。

 

私にとっての3大漫画のうちのひとつ、鋼の錬金術師が今年で20周年だそうで。

昨日、エドとアルの声優を担当した朴璐美さんと釘宮理恵さんが出演された特番が放送されたようで、展示会やらコラボカフェ、配信ゲームなどの発表があったらしいです。

…らしい、というのも、私はすっかりその特番の存在を忘れていたのですがね。。

 

ハガレンの面白さについて改めて語るのは必要ないと思うほど、有名な作品ですし同じく好きな漫画だと挙げる方も多いでしょう。

 

私が神作品だと思う条件のようなものとして、「中だるみしないこと」があります。

長く続けば続くほど、物語が入り込めば入り込むほど、どうしても「つまらないと思ってしまうターン」が出てきてしまうと思います。

それ自体は仕方ないことと思うし、まあいいのですが、ハガレンにはそれがない。

始めから完結までずっと面白くて、ずっと早く続きが読みたいと前のめりになってしまうんです。

それって単純にすごいですよね。

 

私は勿論アニメも観ていましたが、3大アニメにハガレンを入れないのはあくまで「ハガレンは漫画作品」と思っているからです。

原作至上主義の自覚はあります。

 

アニメも素晴らしかったし、声優さんも特に違和感もなく(途中交代した方々も個人的には特に違和感はないです)クオリティも問題なかったと思います(どうしても上から目線な言い方になってしまいますね…)

でも、私の中でハガレンは漫画が第一で、何よりも漫画が好きです。

 

とにかくハガレンは当時小学生だった私に大革命をもたらした作品で、何回でも読み返したいしいろんな人と語り合いたいし生涯忘れられない作品なのは間違いないです。

 

今回発表された展示も絶対行こうと思っているし。

原画展とか、正直当たり外れがあると思っているけど荒川先生の原画なら間違いない。

コラボカフェも、もともとそういった企画が好きなのもありますけどもうめちゃくちゃ行きたい。

ゲームの方は…なかなか苦手なので、やるかはわかりませんが。

 

20年経ってもこうしてファンが離れず、いろんな展開ができ、Twitterのトレンドにも入る力を持っている作品は総じて素晴らしいですよね。

特にハガレンは、これ以上の作品には出会えないのかもしれないなあ、なんて思うほど。

それもそれで寂しいことですが。

 

ちなみにいらないことを言いますが、エドが最後にウィンリィとくっつく展開まではいいですが、その後のラブラブしている2人を書いた二次創作は見るの苦手です。

なんか、その2人がイチャイチャしているところに萌えないしそこまで興味もないんですよね。

告白シーンは素敵だとは思いましたが…そこまででいいかなと。

以前ある方の二次創作を見て、自分でも驚くほど引いてしまったので、私はそこは興味ないんだなとわかりました。

 

…また仕事が落ち着いたら原作を一気読みしようかなあ。

実家から持ってきた漫画、背表紙が色褪せすぎてほぼ全巻白くなっているのが残念です。

3大アニメが決められない

葵です。


この前、自分にとっての3大アニメは何かという話を友達としました。


結論が出せませんでした。

好きなアニメ作品は多いですが、3大となると悩みます。


ただ2つは決まっているんです。

ひとつは新世紀ヱヴァンゲリヲン、もうひとつはコードギアス

何故それなのかはまた別に書くとして...


最後のひとつが決められない!


好きなアニメなら沢山あって、

けいおん!とかラブライブ!とか(どっちも!がつく共通点があるの、今気づいた)

ハガレンとかPSYCHO-PASSとか

CCさくらプリキュアシリーズも好きだし

自分が1番オタク的ハマり方をしたのはうたプリだし


でも、どれも最後のひとつには選べないような。

他に何かないっけ?て思うようなのは違うだろうし

ハガレンとかはどちらかというとアニメ作品というより漫画作品だと思っているし(アニメも勿論見てたし好きだけど、何より原作至上主義的な感覚なので)


忘れられない作品もある、何度も見返したい作品もある

まだ見てないけど長年気になってる作品もある。


私にとっての3大アニメは何だろうな。


まあ普通に考えて大事なことではないので、暇なときにぼんやり考えてみようと思います。


初投稿がこんなふわっとした内容でいいのかと思いつつ

このブログはあくまで自己満足のために始めてみたので。


今後は観た作品の感想やら考えたこと、思ったこと、その他諸々書いていこうと思います。


いろんな人の感想やら反論やら、はたまたオススメ作品やらを頂戴できる場になれば嬉しいな。




2021.7.12 葵